留学生活で一番悔しい日。

 

 今ある授業でグループワークでレポートとプレゼンを作っているのだが、このグループワークの中でちょうど留学生活史上最大に悔しい体験をした。

 まず、グループワークとはいえど自分以外の2人は二人ともマネジメント学科の修士でかなり優秀である。それに対して自分は経済学部でマネジメントやビジネスに関してはひよっこ程度の知識しかない。その時点でかなりの差があることが分かる。しかし、知識どうこうの話よりも彼らは圧倒的に仕事ができる人々なのだ。人の話をしっかり聴き自分の意見を筋道立てて言えることは言うまでもなく、ただ現在の作業をテキパキ行えるだけでなく常に未来のこと(この場合はプレゼンの完成図)を考え、それを基に逆算して常に考えていた印象があった。それに対して自分は、人の話をしっかり聴きとることすら危うく、さらには現在自分が行っていることに夢中になり未来の事などは何も考えずに行動している。そんな対比図が明確に浮き彫りになったグループワークで会った。確かに今までもグループワーク役立たずであった時はあったが、これほどまでに自分の無力さを痛感したことはない。自分が全くと言っていいほどグループの役に立てないのが悔しい。

 そしたらどうすればよいのか。まず考えられるのは「彼ら2人からフィードバックをもらうこと・それをしっかりと受け止めること」だ。特に後者が大事である。現実から逃げず、現実を受け止めよう。それが第1段階だ。

 次に、そのアドバイスを基に日頃の自分の欠点を浮き彫りにしよう。

そして最後に、来期も積極的にグループワークの授業をとろう。その時は、以前までのような脇役一方にならず自分が主役になれるように活動しよう。

 

 今回は貴重な体験をし。留学してからあまり挫折を経験してこなかったものだから、今回の挫折を最大限に活かし自分の成長の糧にしたい。

トランプ大統領選出人に思う事。

 

アメリカで次期大統領がトランプ氏に決まってから約1か月がたった。

約1か月前、自分はモロッコ旅行の最中に選挙の結果をfacebookで知った。まさかとは思っていたが、彼が次期大統領になってしまったのだ。COP22にしろ偶然会ったおじさんからクストーのことを知ったことにしろ、あの旅行は観光以上のものがあった。こういった副産物は旅行ならではのものであろう。

さて、トランプ氏と過去のいわゆる煽動的な政治家らについてふと思ったことがあったから気の向くままに書いてみようと思う。

過去の煽動政治家の代表例といえばまず自分の中で思いつくのは「ヒトラーとムッソリーニ」である。そして近年ではややポピュリストとは異なるがプーチンやエルドアンが思いつく。彼らに共通しているのは「経済政策における成功」だ。ヒトラーはどん底にあったドイツ経済を大規模な公共政策により立て直し、プーチンも冷戦後に大混乱していたロシア経済を石油商売の利益で立て直した。他に名を書いた政治からも何らかの形で国内経済の回復に大きく貢献したのだ。そしてこの経済の回復を受けて当時経済的に苦しんでいる人々はかれらに感謝し、彼らは大衆の人気を集めるようになったのである。つまり経済の立て直しはポピュリズム的政治家とは切っても切り離せないほどの強い関係性があるのだ。もしプ―チンが国内経済の再建に失敗していたら現在ほど人気率は高くなかったであろう。

トランプ氏は「大規模な公共政策、中低所得者に対する税金カット」など経済的に苦しんでいる人々にとって大変響きの良い政策を公約しているが、もしそれらが実行されたとした場合にそれらの政策が成功するかは未知数だ。もし成功したら、それは大変恐ろしい結果を招くであろう。国民はトランプ氏を信奉するようになり、彼の言うままに動くようになる。まさに「第2のヒトラー」が生まれる可能性があるのだ。このような結果はなんとしても防がねばならない。逆にここで彼の経済政策が大きく失敗してくれば、トランプ氏を支持していた人間は目を覚まし、トランプ氏に対するそれまでの期待は大きく下がるであろう。そうすればアメリカの民主主義は守られることになる。

もっとも、アメリカが上に挙げた国々と大きく違う点は、世界No.1の大国として民主主義を守る余裕がまだあるという事だ。今回の選挙は投票数はヒラリーのほうが多かったし上記国々に比べるとそこまで経済的に困窮しているわけではない。だが、今回トランプ氏に投票した人々が目を覚ますことに越したことはない。どっちにしろ彼の経済政策は失敗したほうが良いのである。

政治の問題は変数やパラメータが多すぎて、考えれば考えるほど問題が複雑化して混乱するときもある。だがこのようにあまり深く考えなくとも思いつけるシンプルかつ比較的合理的な意見を生み出せる。大事なのは「時間的・空間的な違いの中で共通点を見つける事」である。

国語が昔から苦手で文章を書くのが下手な自分はであるが、文章を書くこと自体は昔から嫌いではない。このように自分の思ったこと・考えたことを言葉にするのは大事な作業であると思う。