印象派との出会い。(前編)

今月の12日から16日にかけてフランスのパリに友人と旅行した。友人の一人は日本人(先輩)、もう一人はパリ近くに住むフランス人であった。フランス人の彼のおかげでかなりスムーズに観光はできた。話を聞く限りフランス、特にパリはあまり治安の良い場所とは言えないのでもしパリに旅行する場合はヨーロッパ人できればフランス人と一緒に旅行することをお勧めする。

さて本題についてだ。自分の文章はいつも回りくどくかつ分かりにくくなってしまう傾向があるので先に結論を言うと、「今まで自分が観てきた西洋美術とは全く異なる印象派に出会い衝撃を受け、印象派の大ファンになった」わけだ。

自分はヨーロッパに留学する前まで、ヨーロッパ美術特にギリシアローマ・ルネッサンス時代の写実的かつ壮大な作品を観るのを楽しみにしていた。高校生の時に世界史の副教材でそれらの写真を初めて見たときに感動して以来ずっとだ。しかし、いざヨーロッパに着き休日などの合間をぬって美術館や博物館などに行きそれらを観た正直な感想は、「意外とそうでもない、、、、。」だった。(笑)

確かに最初に見たときの迫力はすごかった。でも、なぜかほんの短時間で見飽きてしまう。「今まで見てきた写真とそこまで変わんなくね?」「確かにめっちゃ写実的だけど、それで終わりだ。。」こんな思いしか生まれなかった。自分の期待は裏切られたわけだ。自分が期待しすぎたのも悪いのかもしれない。(笑)

この思いはパリのルーブル美術館に行った時も変わらなかった。

ミロのビーナスにサモトラケのニケ、モナリザ、ナポレオンの戴冠にメディウス号の筏 ...。いずれも自分が高校生の時から絶対に死ぬまでは目にしたい、と思っていた作品であるが、まあ感動しない(笑)(笑) しかもルーブル美術館はEU以外の国籍の人だと15フランも取られる。正直キレそうだった。(笑)15フランならケバブ4本(多くて5本)、ラーメン2杯も食える(ヨーロッパに来てから物を買う時の基準がラーメンからケバブに変わった)。観光客を呼び寄せたいのならもっと安くすればいいのに、とも思ったがよくよく考えればそんなに安くしなくとも普通の観光客はそれでも行きたがるだろうから、正常っちゃ正常な価格かもしれない。

話を元に戻そう。そんなこんなで、自分は何でここまで有名な美術品に感動しないのか疑問に思い、ある仮説を立てた。1つは「写真でもうすでに見てるから期待値が高すぎるから。」で、もう1つは「日本・東洋の美術的感性との違い」である。

後者の仮説に関して詳しく説明する。もともと自分は日本の伝統的な芸術作品(特に水墨画)が大好きだ。これら日本の伝統的な芸術作品と西洋のそれとの決定的な違いは「自然」と「写実性」にあると思う。日本の伝統的な美術作品といえば、例えば葛飾北斎の浮世絵や雪舟の水墨画などが挙げれられる。これらの作品に共通するのはどちらも自然が必ず人間よりも強調して描かれていていることと、どちらもそこまで写実的でないことであると自分は考える。確かにどちらも自然の描写はとても丁寧だが、写実性を求めているようには思えないし実際写実的ではないと思う。つまり不完全なのだ。

一方、西洋のそれはこれの逆だ。ギリシアローマ時代の彫刻は人間のみが題材にされ、自然は全く描写されていない。モナリザやミケランジェロの天地創造などは自然は描かれていることは描かれているが、あくまで主体は人間である。そしてこれらは全てここまでかというばかりに写実的である。まるで写真のようである。

この両者の違いのために自分は感動しないのではないか。そういう仮説を立てた。そしてこの仮説はオルセー美術館に行ったときに確信に変わる。

オルセーで初めに観たのはミレーの日傘の女。これも高校生の時には見たことはあるが、その時はそこまで気に留めなかった。有名っちゃ有名だけどモナリザなどに比べたらそこまでではない。だけど、この作品は期待値をはるかに上回った。なんといっても自然描写、特に光と影の描き方がとても美しい。女性の足元に広がる草原もそこまで写実的でなくてよい。そして何より油絵であるため写実的な絵ではない。あえて写実性を排除してるともいえそうだ。この作品のみでも「自然」と「写実性」に関する自分の仮説が正しいように思えたが、この作品のみでは結論づけることはできなかったのでもう少し他の作品も観ることにした。

次に観たのがモネのエトルタの日没。これも大変美しい作品だ。「自然」に関しては、夕焼けの空と海と大きな崖がこの作品の主体である。「写実性」に関しては、前作と同じく油絵であるためそこまで写実的でない。これも期待値をはるかに上回った。

そんなこんなで、色んな印象派の作品を大好きになったわけだが、これらの作品を見ると自然とその絵の実際の場面が想像される。気温に匂い、音だ。そして自分は、自然描写と曖昧な描き方がこの「想像力」を引き出しているのであろう、と結論付けたのである。

続きは後編へ。