内的思考と外的思考

 

冬休みももうすぐ終わり、明後日から授業が始まる。最近は旅行したり本を読んだりと自由気ままに活動しているが、こんな自由な時間も終わってしまうと思うと少し悲しい。けれども、新しい友人を作れるのは嬉しい事なので楽しみにしてよう。

 

さて、今回は自分が以前から自分の中に秘めていたアイデアを書こうと思う。

自分は考え事をするのが大好きだ。どんなジャンルの事もだ。最近のテーマは「民主主義の国による相性について」。民主化は大事だ とか何とかいう人がいるけどイラク情勢とか見たら一概にそんなこといえないよね、ロシアとか中国とかむしろ歴史的に考えても民主主義じゃないほうが国は安定するし良いよね、というのが主な内容だ。そんなこんなで考え事をしていると、現実世界で起きていることをついつい忘れてしまう。こないだは大学から考え事をしながら自分の家に帰っている最中に、不覚にも大学に忘れ物(スーパーで買った食材)を置き忘れてしまった事を思い出し、猛ダッシュで取りに戻った。こんな感じで、考え事をしてしまうと脳が勝手に外の世界の情報をシャットアウトしてしまう。脳が考え事に手中するためにわざとそれをシャットアウトしているようにも思える。これをここでは内的思考と呼ぶことにする。

一方自分の友達には上記のような事を議論したり話すことは好きではないけれども、新しい情報に敏感で、何事も器用にでき、常に興味があることに挑戦している人が何人かいる。彼らも勿論考えながら生きているが、彼らの場合は外の世界の情報を積極的に取り入れて、それらを積極的にアウトプットする(行動に移したり他人にその情報を伝える)ことを好んでいるように思える。これも立派な思考であるけれど、外の世界の情報をシャットアウトしていない・考え込まないという点で内的思考とは全然違う。これをここでは外的思考と呼ぶことにする。

別にどちらのほうが良い・悪いという事を言うつもりはなく、むしろこの両方が必要なのじゃないかなと最近おもった。

内的思考の弱点は、考え事をしている段階で考えていることが抽象的になりすぎてしまい結果的に何の解も生まれない事であると思う。上に書いた「民主主義の国による相性について」だって、内向的思考だけでは自分なりに仮説をたてることしかできず、これを外の世界の情報(統計データや具体例)を使って実証することが出来ない。単なる自慰行為になってしまうのだ。これでは何の意味もない。

逆に外的思考だけあってもそれはそれでだめだと思う。これの理由はまだ自分の言葉では説明できるレベルではないけれども。(笑)

自分は明らかに内的思考を重視しすぎているタイプなので、今後はもっともっと良い意味で思考を放棄して生きていこうと思う。

そしてこんなことを思いついたときに「外的思考 内的思考」とググったら、心理学者のユングが同じようなこと(自分なんかよりも全然すごい)を言っていたことに気づいた。いつの時代も人間考えることは大体一緒なんだな。そう思った瞬間であった。